この街大スキ武蔵小杉

コスギーズ

武蔵小杉で活躍する人を紹介します!

2023.01.15

土倉康平さん

全てのモテたい人に贈る「モテ男のレシピ」

 

モテたい。

 

それは、人間として生まれたならば、もはや本能に近い欲求なのではないでしょうか。「いや、別にそんなにモテなくてもいい…」という方も、人生で一度か二度くらいは、人気者になりたいと思う瞬間がありませんでしたか。それは何も恋愛のことに限らず、人間というソーシャルな生き物が、快適に生きていくために身に付けたい処世術のような気もします。

 

外見やその人が何を所有しているかということよりも、大切なのはその人と一緒にいると楽しいということ、その場の空気が良いということ。そういう人付き合いができる人のところに、人は集まるのだということを改めて実感させてくれたこの方に、今日はお話を聞きました。

 

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中原おうちごはん主宰の土倉康平さん

 

2020年4月。コロナショックによる街のロックダウンがあり、人々は家に篭ることを余儀なくされ、飲食店は大きな打撃を受けました。厳しい状況に対応するためにテイクアウトを始めるお店も多数ありましたが、その情報がなかなか利用したい人のところまで届きません。もどかしい思いをしたという土倉さんは、SNSの力を借りて「武蔵小杉・元住吉・新丸子のテイクアウトできるお店と繋がるコミュニティ」を立ち上げます。それはたちまち、2,000人を超える人々が参加する大きなコミュニティとなりました。


 「つっちー」という愛称で、きめ細かい気配りをしながらコミュニティを運営する姿が評判を呼び、地元の飲食店を経営する方々からも、利用する方々からも注目され、一躍武蔵小杉エリアの時の人となりました。その後、デジタル情報を手に入れられない人のために、コミュニティの有志と区役所との協働によって紙のテイクアウトマップを製作したり、市長との井戸端会議に呼ばれて意見交換をしたりと、その活動の場が地域へと広がっていきます。

 

<明治大学のラグビー部で鍛えられた不屈の精神>

そんな土倉さんは、明治大学のラグビー部出身という筋金入りの体育会系。ただの体育会ではなく、明大ラグビー部といえば、広い国立競技場を超満員にする名門中の名門、生半可な気持ちで所属できるような部活ではありません。「あの4年間でヤバいメンタルを手に入れました」といたずらっぽく振り返ります。「社会人になった後も、何がきても怖くないんですよ。肉体的にも、精神的にも辛いと思うことがない。」

 

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きっと想像を絶する過酷な練習、厳しい上下関係にも耐え、今があるのでしょう。しかし、鋼の肉体とメンタルを所有すると豪語する土倉さんに会ったことがある人はわかると思いますが、一般的に思い描く体育会系男子のイメージよりも、だいぶ穏やかで社交的なのです。体格には当然恵まれていますが、人を威圧しない柔らかさがあります。「どういう経緯を経ると、こういう人が育つのだろう」と興味がわき、幼少期のことから根掘り葉掘りお聞きしました。

 

<天国と地獄を味わう>

「川崎市多摩区に生まれ、生田で育ちました。 一人っ子だけど、聞き分けが良くて反抗期がなかったと母が言っていました。幼稚園の頃は足がすごく速かったから第1回目のモテ期でしたね。みんなお嫁さんになりたいと言ってくれました。」

いきなりモテの話がきました。サービス精神旺盛です。(笑)

 

「小4まではサッカーをしていて、運動会でもスターだったんですが、とんでもない転校生が来て、すべての栄光を奪われました。悔しかったけれど、運動が好きな子ども同士気も合って、仲良くしていましたよ。一緒にテレビの運動会番組に出ました。中学校では陸上部でした。女の子がかわいかったから。」

 

その後、小学生の時に観た「スクールウォーズ」で憧れたラグビーをするために、明大附属中野高校に進みます。月曜以外は全部練習、土日は朝から夕方まで。「彼女ができても会えないのですぐに振られてしまいました」と言った時のトーンが「3年生の時は都大会の決勝で敗れて花園に行けなかったんです」と言った時と同じくらいで、悔しさがしみじみ伝わってきました。

 

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その後、いよいよ大学に進み、花のラグビー部で活躍する時が…と思いきや!

 

「びっくりしましたよ。高校生ラグビーで同じポジションのトップだった日本代表選手が3人とも、明治に入学してきました。ああ、これはもう4年間レギュラーはないんだと悟りました。人間としてモノが違うということが、一瞬でわかる。」

 

レギュラーになれないラグビー部をやめることも考えた土倉さん。しかし…

 

「明治のラグビー部はすごくモテるんですよ。」

 

ニヤリと笑って、その一言で学生時代を総括。寮生活の制約、厳しい練習、そのあとにある楽しいコンパ。天国と地獄がいつも一緒にありました。商学部に進んでいたこともあり、大学の授業も持ち前の社交性と頭脳プレイでしっかりこなし、前代未聞と言われた就職氷河期にもかかわらず、当時話題になっていたゲーム会社へグラウンディング。面接で常務に気に入られて、その場で内定が出てしまった、というおまけつきです。

 

「でも、会社の所在地が中心地から遠かったので、いつもコンパに遅刻するんです。結果モテない時代がきちゃいました。」

 

お決まりの軽口をはさみつつ、ビジネスパーソンとしての怒涛の快進撃物語が始まります。

 

<ゲームの宣伝はバグの話で盛り上げ、広告作りも「おもてなし」>

新入社員の時にはビジネスの流れを勉強し、2年目には広報・宣伝系の部署へ。コンパで鍛えた話術が評価され、テレビ番組で自社ゲームを紹介する担当を振られます。TVK制作の音楽バラエティ「saku saku」に出演すると、バトルシステムの話はつまらないだろうと、変なアイテムを使ったり、バグを延々と紹介したりするなど、独自の視点での話がディレクターに気に入られて、月1回の「準レギュラー出演者」となります。当時、saku saku はまだ読者モデルとして登場したばかりだった木村カエラさんがMCを務め、番組としても人気が出てきた頃だったので、カエラさんとやりとりをする「つっちー」の姿を覚えている人もいるかもしれませんね。

 

「楽しかったんですが、こんなに楽しいだけの仕事をしていていいのか? と疑問が湧いてきました。もう少し、自分自身を試して成長しなければいけないと思い、転職を決めました」

 

新しい業種はアパレルに特化した広告代理店でした。そこで営業をやったことが、自分自身のキャリアの中では特に学びが多かったといいます。

 

「雑誌の広告を売るわけです。ただの紙を、多い時で2億円売ったんですよ。もちろんシェアの取り合いが発生していて、タイアップ記事とか、他の会社もやっていることをやっていたら勝ち抜けない」

 

その時土倉さんがとった戦略は、まさしく世の中の全ての男性に(いや、男女どちらにも)いますぐメモしてほしい「モテの極意」でした。土倉さんは、撮影に同行する各社の広報担当者を喜ばせたのです。冬の早朝に海辺でというロケだったら、温かい飲み物を用意して自分の車で迎えに行く(現地集合か、ロケバスに一緒に乗せるのが一般的でした)。近辺のお店を検索しておき、撮影の後に食事に誘う。誕生日やクリスマスなど、イベントシーズンの撮影だったら、担当者へもちょっとしたギフトを準備する。そのプレゼントのコツは「これ素敵だな、でも自分では買わないな」とみんなが思うようなものを選ぶ。結果的に広報担当者が土倉さんと撮影に行きたいと思うようになり、新規ブランドのコンペには必ず呼ばれ、シェアNo.1を獲得できたそうです。

 

多くの候補の中で、この人と仕事をしたい、と思われて、選ばれるための努力を怠らない。こうしてみると、それは土倉さんが幼少期から自然にやっていたことかもしれません。人が喜んでくれることを喜ぶ「おもてなし」の心、それが「おモテ」に成るための真髄だったのですね。

 

<もっと喜ばせたい…「センスを右手、ロジックを左手に」>

このような仕事を通じ、さまざまな企業と付き合ううちに、自分のもつ強みをいかに言語化して伝えられるか、ということを考えるようになりました。確固たるマーケティング戦略をもって事業をする側に惹かれ、30歳で再転職。再びエンタメの現場に戻ります。今度は、オンラインゲームのマーケッターとして働くことに。そこで当時ブレイク前の指原莉乃さん、石原さとみさんなどを起用したプロモーションを手掛けた後に、ITベンチャー企業に入社します。

 

そこでも、事前登録者が47万人を超え、業界で伝説となる「フライングゲットガチャ」をリリースするなど、経験を活かして華々しく爪痕を残す土倉さん。そのガチャも基本は「ユーザーにどうしたら喜んでもらえるか」ということが発想のきっかけになっているのだから、真性の「喜ばせ屋」と言っていいでしょう。その会社で執行役員まで務め、経営のノウハウも学ぶことができたという土倉さんは、円満に会社を退社すると、2019年9月、自分の会社「SALT」を設立します。

 

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社名の「SALT」は人間にとって根源的に必要な「塩」を意味すると同時に、「Sence And Logical Thinking」の頭文字である、ということで、初めて知った時には「いい名前ですねえ」と思わず言ってしまったほど。アート作品を創る時にも、センスだけでは完成しないことがままあります。どうして自分にこれが必要だったのか、なぜ今これを創るのか、なぜ、こういう表現になったのか。自分自身に問いかけ、言葉にすることが必要だと常々考えていたので、センスに溢れていながら、ロジカルな「土倉節」には、感服することしきりでした。

 

「まずは本質が何か、ということ。それから、人でも物でもそうなんですが、強みを見つけることです。魅力と言い換えてもいいですね。それを最大限に引き出すためのコンサルティングをして、最後はセンスで実現する。そんな会社です。」

今まで仕事をしてきた都内ではなく、生まれ育った川崎で起業をしたのは、自分自身をロジカルに見つめた結果でもあったといいます。

 

「企業も人も結局グローバルで戦えるか、さもなくば徹底してローカルかの二択なんですよ。自分は英語も得意じゃないし、それならローカルで頑張る方が面白そうじゃないかと。川崎に住んでいる割には友達が地元にいなかったので、ローカルなコミュニティを作ってみたいという思いはいつもありましたね」

 

<クラフトビールとキャンプ>

そんなことを考えながら、川崎で起業をして、一年も経たないうちに前述の通りのコロナ禍となりました。土倉さんにとっては、思い描いていたローカルコミュニティを今こそ、という思いもあったのでしょう。スピーディかつセンスのある「中原おうちごはん」コミュニティが出来上がり、今でも盛り上がっているのは前述の通りです。

 

地域の中で仕事をし、コミュニティを運営する中で、大切なのは、自分を「タグ付け」して覚えてもらうことだといいます。

 

土倉さんの「タグ」はクラフトビールとキャンプ。どちらも昨今、武蔵小杉界隈ですごく流行っており、早めに目をつけていたところにセンスを感じずにはいられません。

 

「もともとB.B.Q.が好きだったので、キャンプには興味がありました。自分のタグをキャンプにしよう、と決めてセールでグッズを大人買いしました」

 

土倉さんの愛用テントはノルディスクのコットンテント(しかもそれを大小2張に、スノーピークのテントを1張と、合計3張所有)。これらはグランピングサイトにあるような「映えるテント」で、まさに「タグ付け」を意識したお買い物です。

 

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「クラフトビールの方は、もともと自分でお酒を作ることに興味があったんです。最初は泡盛を作れないかと考えて、いろいろな酒蔵を調べていたんですが、その過程で下北沢のバーでクラフトビールを飲んだ時に、スタイルがいっぱいあるのがいいと思いました」

 

その時はまだ、自分のSNSではクラフトビールの発信をしている人がいなかったので、少なくとも自分の界隈ではパイオニアになれる、と考えました。この考え方は実は、マーケティングではとても大切な考え方なんですね。エリアを絞って発信すること。土倉さんと話すうちに教えてもらった付け焼き刃の知識ですが、マーケティングはまず、知ってもらうことが大切。そのために発信するので、自分が発信する時に苦にならないもの、楽しいものをタグに選ぶことが重要だそうです。

 

中原おうちごはんのコミュニティが短期で盛り上がったのも、武蔵小杉エリアという狭いエリアに限定して、テーマもテイクアウトに絞ったことが大きかったんですね。

 

<コミュニティの中で夢を叶えていく秘訣>

土倉さんに出会ったばかりの頃「プライベートキャンプ場を作りたいんです」と言われ、土地を買うのかな? そもそもキャンプ場なんて自分で作れるものなのかな? と思った覚えがあります。それをなんと、土倉さんは1年半くらいの間に実現してしまいました。

 

先日、取材も兼ねてお邪魔させてもらったのですが、本当に使いやすくて、且つおしゃれでびっくり。たまたま伊豆高原に遊休状態の土地を持っている方と出会った土倉さんの運の強さもさることながら、トレーラーハウスを手に入れて、それをベースに水や電気などを整備して、SNSを利用して貸し出しのシステムを作り、運用に漕ぎ着けるという一連の仕事は、まるで魔法使いのようでした。

 

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ビールの方でもその動きからは目が離せません。元住吉にある「木月キッチン」は、とても美味しいご飯を出してくれる素敵なお店なのですが、店主さんが足を痛めてしまい、毎日お店を開けられなくなっていました。その空き時間である金曜日に、土倉さんはクラフトビールをセレクトして、みんなで飲むことができるコミュニティバー「Hazy Mania」を2022年11月にオープン。コミュニティの中には利酒師やソムリエがいたり、とっておきの日本酒や日本ワインを仕入れたりする他、隔週の金曜日というレア感も伴って、毎回大盛況になってています。このようにして、身近な人の「困った」を助けることで、自分自身のやりたかった
ことを叶えていくのが、土倉さんの凄いところです。

 

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「コロナ禍で始まったコミュニティだからオンラインで話すことに慣れているけれど、リアルに会える場がやっぱり必要だと思うんですよ。コミュニティのいいところは、みんなが発信者になってくれること。会って、体験して、楽しかったらそれを発信してくれるから、広告費もいらない」

 

ついに、夢だったオリジナルクラフトビールの製造にも乗り出しました。「先日の「Hazy Mania」で出資者を募り始めたら、いいペースで賛同者が集まってきました。この分だと、春くらいにはみんなで作ったオリジナルのクラフトビールを飲むことができるのかな?」。 こうしてワクワクしながら待つのも、コミュニティならではのお酒の楽しみ方ですね。

 

「発信して、行動。その繰り返しですよ。そうすれば、面白そうだと思った人はどんどん集まって手を貸してくれるし、自分も楽しいんです。次にしたいことですか? 飲食店っていうのは、利益率がどうしても低いんですよね。コミュニティで付加価値をつけて、飲食店の利益率をあげられるような実験もしてみたいな」

土倉さんはまた、コミュニティの中で新たな夢を見て、語ることに余念がありません。

 

「本音を言えば、コロナには少し感謝しているんです。あれがあったおかげで、地域にみんなの居場所を作ることに本気で乗り出せました。オンラインでのミーティングが一般化してくれたこともありがたいし、リアルで会うことの大事さも比べ物にならないほど腹落ちしています。もう、前の様式には戻れないし、戻りたくない。」

 

そう言って笑う土倉さんの本質は、どんなに強いライバルが現れても、争うのではなく、相手を支えて共に進んだり、逆境を楽しんで飛躍したりしてきた、幼少期や学生時代のものと変わっていない気がします。それは一貫して人を惹きつけ、一緒に何かをしたいと思わせる人間的な魅力を醸成します。ついにはウイズコロナの時代における、新たなヒーロー像となり、地域にモテの、いや、「おもてなし」の連鎖を生み出しているのです。

 

プロフィール

土倉康平(つちくら こうへい)

株式会社SALT 代表取締役、Startup Hub Tokyo 丸の内 コンシェルジュ。

大学卒業後エンタメ、アパレル業界で20年間マーケティング担当として従事。2012年に株式会社ドリコムに入社。様々なプロダクトのマーケティングを統括。組織開発などを経て、個人、企業のブランディング、プロダクトのマーケティングをコンサルティングする株式会社SALTを2019年に創業。人とのつながりをもっと作りたいと、地元の飲食店と地域の方々を繋げるコミュニティ「中原おうちごはん」を運営。伊豆高原にプライベートキャンプ場「IZUKOGEN BASE」を作り、第1・3金曜日には地元の方がリアルに集まれるクラフトビール&コミュニティバー「Hazy Mania」を元住吉にオープンするなど、趣味のコミュニティ活動にも精力的に取り組んでいる。

 

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ライター プロフィール

Ash

俳優・琵琶弾き。「ストリート・ストーリーテラー」として、街で会った人の物語を聴き、歌や文章に紡いでいくアート活動をしている。旅とおいしいお酒がインスピレーションの源。

 

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カメラマン プロフィール

岩田耕平 

25歳からの14年間で1万人を超える家族をフォトスタジオで撮影。15店舗のフォトスタジオで撮影トレーナーを務め、個人ではカメラマンとして人と人をつなぐ撮影を展開。

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