奥真理子さん
コスギーズ!とは…
利便性や新しさだけでなく、豊かな自然、古きよき文化・街並みもある武蔵小杉は「変わりゆく楽しさと、変わらない温かさ」が共存する素晴らしい街です。そんな武蔵小杉の街の魅力をお届けするべく、この企画では街づくりに携わり、活躍している人をご紹介していきます!
ブックカフェ&ギャラリー COYAMA
奥 真理子さん
(写真:COYAMA 店主 奥 真理子さん)
「武蔵小杉でお気に入りの場所を教えてください」
そんな質問をされることが多いです。そこにいると、忙しい日々の中でも、自分らしさを取り戻せるような場所のことでしょうか。私にとってその場所は、どんな町であっても本屋さんとカフェでした。新しい町に到着すると、町並みや古い家屋を眺めながら、知らない路地を歩いて、書店で出会った2、3冊の本を買い、近くのカフェでそれを読む時間が、もっともセレンディピティを感じることができて幸せでした。
インターネットで本を買えるようになってからは、そんな偶然の出会いを期待できるような本屋さんが少なくなってしまいました。でも、実は武蔵小杉にもあるのです。たくさんのインスピレーションが湧いてくる、そのすべての要素が詰まった空間が。
今日は、訪れる人すべてにアートやデザイン思考、あるいは生活の知恵、詩情に触れる愉悦、それらに囲まれながらコーヒーを飲む幸せを与えてくれる場所「COYAMA」と、その店主である奥真理子さんをご紹介します。
COYAMA
COYAMAは、東急東横線・目黒線武蔵小杉駅の北口南武沿線道路を向河原方面に歩いて、10分ほど。少々入り組んだ路地を入った住宅街にあります。向河原の駅からだと、線路沿いに歩き、武蔵小杉方面に5分。このあたりの地形に慣れている人ならば、向河原から来る方が近くて便利かもしれません。ですが、まずは知っている街の知らない路地を、少し迷いながら歩くという経験もぜひして欲しいのです。そこには普段の生活の延長線上にある非日常が待ち受けているからです。
(写真:COYAMA ファサード 築50年の印刷工場をリノベーションして作られた)
私が初めてここを訪れたのは、2019年の春のことでした。本好きの人が集まる「こすぎナイトキャンパス」を通じて仲良くなった出版社勤務の方が、「山王町に週末だけ開くブックカフェができるみたいですよ」と連絡をくれたのです。「本と珈琲のお店を作っています」とインスタグラムで着々とリノベーションの様子が紹介されていく、オープンまでの過程もとても興味深いものでした。
どんな人がそんな素敵な思いつきを遂行しているのか、オープンを待ち兼ねてややフライング気味に店主の真理子さんに連絡をした時のことを今でもよく覚えています。
その建物を見た時には、とても不思議な感覚でした。小さい頃に友達だった誰かの家に、時空を超えて遊びに来たような。その家は、特別な土間を持っていて、そこにいつも面白い人たちが出入りしているような。それが、築50年の印刷工場だった建物なのだ、と聞いて妙に納得したものでした。見る人が見れば、町の営みの中に刻まれていた丁寧な手仕事の記憶が蘇ってくるような、魅力的な建物だと感じました。
(写真:店内に飾られているCOYAMAの外観のスケッチ)
デザインの仕事で磨かれたセンス
2019年の5月1日、ついにブックカフェがオープンとなり、会いたかった真理子さんにお会いした時の衝撃も忘れられません。この人が自分で大工道具を持って、祖父母が経営していたという印刷所をブックカフェとして蘇らせたのか? と、しばし瞠目してしまいました。お店もさることながら、真理子さんご本人も「センスの塊」だったのです。
「生まれは横浜で、茅ヶ崎で育ちました。専門学校を卒業するまではずっと茅ヶ崎にいて、その後東京の木工会社に就職をしました。営業の仕事をして、しばらくしてから仕事で縁があったデザイン事務所に入り、グラフィックや空間デザインなどを学びました。このお店は、それらの仕事を通じてできた仲間と一緒に作ったんです。」
小さな山が連なったCOYAMAのロゴ、デザイン関係の本が多く並ぶカフェ空間も、非常に戦略的に設計されていて、洗練されていると感じていましたが、真理子さんのお仕事や経歴を聴くと、なるほど、と思います。お店を週末と水曜日の週3日間だけしか開けないのも、現在はフリーで請け負っているデザインのお仕事と両立しているからなのですね。
(「小山」という漢字が山のようにデザインされたCOYAMAのロゴ)
「この場所、小山印刷は祖父母の家でもあったので、遊びに来ることはあっても、年に1、2回という感じでした。でも、大人になってから…そうですね、2014年くらいにこの家に来た時に、この場所に住んでみて、人を呼びたいと思うようになったんです。」
美術館巡りが好きだったという真理子さん。展示を見た後に、ミュージアムショップを見るのが特に楽しかったのだそう。
「こういう空間や選書のアイディアは、今までに行った美術館のショップやカフェのイメージが影響していると思います。図録や、関連グッズなどを手に入れて、ミュージアムカフェでコーヒーを飲む時間が好きで、そんな空間がここに作れないかな、とおぼろげに考えていました。」
構想を思いついてから、2年くらいかけて少しずつ「おばあちゃんの家でミュージアムショップのようなブックカフェを開く」という真理子さんの夢が形になっていきました。お父様が電気工事をできたり、前職のつてで腕のいい大工さんと知り合いだったりと、身近な人脈を生かしながら、真理子さんも自ら大工道具を持って床を叩きました。
(写真:ミュージアムショップのように、本が並ぶ)
ギャラリーも併設
ミュージアムショップから着想したブックカフェなのだから、当然ギャラリースペースも作りたいという思いは最初からありました。そちらは、カフェスペースに遅れることひと月ほど、母屋の一階スペースを改装して、6月にオープンしました。
(写真:COYAMA ギャラリースペース)
「飲食も初めてなら、ギャラリーをやるのも初めてだったので、右も左もわかりませんでした。今でも『これでいいのかな』という疑問を抱えながらやっています。」
そう言って笑う真理子さん。初回の展示は、専門学校時代の同級生に声をかけて行いました。すると、さっそく驚くことがあったと言います。
「近くに住んでいらっしゃるイラストレーターの方が、ぜひ展示をしたい、とお店に来てくれたんです。近所だし、月末にモロッコに行くのでその絵を飾りたいと。地域というものの力を感じました。」
そういった展示をきっかけにスペースが少しずつ認知され「このスペースで展示をしたい」と、アーティストの方から打診が入るようになりました。
展示のたびに真理子さんが力を入れるのは、コラボスイーツ。
(写真:イラストレーター・イノウエエリコさんの展覧会でのコラボスイーツ)
毎回、展示作品のコンセプトにマッチするスイーツを考案して、大好評を得ています。
「スイーツを考える時はとっても楽しいんです」と、目を輝かせてスイーツの説明をしてくれる真理子さん。コーヒーを淹れる機器はアメリカンプレスを採用し、淹れる人が変わっても味にブレがでないようにして、アートを鑑賞した後にコーヒーとスイーツで満たされる時間を、丁寧に演出します。
歴史を刻みながら
そうやってお店が少しずつ軌道に乗ってきた矢先の2019年秋、武蔵小杉を台風19号が襲いました。後に令和元年東日本台風と名付けられたこの大きな台風により、増水した多摩川の水が排水樋管を逆流して、広範囲の浸水被害が起きました。COYAMAのある山王町一帯は特に、家屋への多大な被害を受けました。
(写真:台風の被害から復旧を目指すCOYAMA
「このグレーの部分が水が上がってきた高さです」と真理子さん 2019年12月 Ash撮影)
「すぐ隣は沼部という地名でもあり、このあたりは昔から水害の多い地域なんですよね。少しは予想をしていたのですが、被害は意外と大きくて。床の近くにあった本は退避させていましたが、予測を超える高さの浸水で、しばらくはお店を閉めなければいけなくなりました。」
お見舞いに駆け付けたとき、水が上がった高さがわかるようにくっきりと塗装がされた壁と本棚を見て、改めて被害の大きさを思うとともに、真理子さんの芯の通った強さを感じました。災害の爪痕すら、ひとつの美しいデザインとなり、お店の記憶の中に生き続けるのです。
「周辺に残っていた他の古い家屋がこの台風による水害の影響で姿を消してしまったのはとても残念です。」と話す真理子さん。床下の清掃や思い出のある古い家具の復旧、消毒などを時間をかけて行い、1月にようやく営業を再開した時には、気にしてくれていた人たちからのお祝いの言葉がたくさん届きました。自分なりのテーマで選書した本でCOYAMAの本棚を飾れるという企画も再開し、私も2月に 自分の蔵書を並べさせてもらいました。自分が好きな本を陳列する楽しさを知るとともに、このお店の「歴史」にほんの少しでも加わることができ、とても誇らしかったのを覚えています。
(写真:COYAMA「本棚」企画に参加 2020年2月)
これは本当に幸運だったのだと痛感することになりました。なぜなら、そのあとすぐに未曾有のコロナ禍がやってきて、この企画も含めてCOYAMAでの人が集まる企画もできなくなり、再びお店は休業となってしまったのですから。
家族も、仲間も増えて
「お店を開けてからずっと走ってきたので、正直なところ少し立ち止まって考える時間ができた、と思いました。飲食も書籍も、今までは好きという気持ちだけで勢いでオープンして、見様見真似でやってきた部分も多く、お客様から学ばせてもらっていた感じでした。実際にやってみると、一人ではできないことも多く、これから先のことをじっくりと考える必要もありました。」
自分だけでお店を回すのではなく、スタッフを入れることもこの頃に始めました。様子を見ながらお店を開けつつ、できることから少しずつ、オペレーションを整備していきました。
そして、昨年の6月には、女の子を出産します。
「いや、子育ては大変ですね。」
出産後にお会いした開口一番、その言葉とともにちょっと口元を押さえて笑った真理子さんは、以前と変わらないかっこよさでしたが、少しだけ雰囲気が変わったように感じました。言うなれば、モノトーンに挿し色が加わったような?
「働く環境はあまり変わらないように周囲の人たちが支えてくれています。主に夫が、ですけれど。彼とは全然性格も違っていて、好きなものや休日にやりたいことも違うんですよ…」
今は、少しずつ頼りになるスタッフも増え、真理子さんが接客をしなくてもお店が回るようになりました。同じような目線でこの空間と、本やコーヒーを愛する仲間がいることは、とても心強いことですね。
以前はSNSでの発信でお客さんが来てくれていましたが、最近は圧倒的に近隣の方が「お散歩の途中で見つけた」と立ち寄ってくれることが多くなったのだそう。近隣の学校の美術の先生が、ここのギャラリーで展示を企画したいと言ってくれたことも。
今後やってみたいことは、とお尋ねすると、「自分が親になってみると、この店がいかに子連れだと使いにくいかも気が付いちゃいました。できるかどうかわからないけれど、倉庫状態になっている母屋の二階を改装して、小さい子が遊べるスペースを作れたらいいな、と思っています。あちらが使えれば、ギャラリーで展示を行う作家さんに滞在してもらうこともできるようになるし…」
遠近感。フォーカスをどこに定めるか。人間にはライフステージやバックグラウンドによってそれぞれに違った要求があり、等しく満たすことは難しいことですが、真理子さんなら軽やかに、それらのニーズの折り合う点を見つけて、しなやかな曲線でつないでくれるのではないか、そんな期待をしてしまいます。今後も、COYAMAがこの街にあって、さまざまな人たちの創造性に刺激を与えてくれることを願っています。
最後に、真理子さんに一冊、お勧めの本を紹介していただきました。
ご本人のご紹介コメントとともにどうぞ。
真理子さんお勧めの1冊 <「いき」の構造>
COYAMAではじっくり読む小説というよりは、まずは視覚から刺激を受ける本を置くようにしています。
パイインターナショナルさんのこのビジュアルブックシリーズは、名著だけれど文字だけで入り込むにはパワーのいる文章が適切な写真、適切なレイアウトによって瞬間的に理解することができます。写真集としてパラパラ眺めてもよし、「いきとは…」を考え込むもよし。頭がオフの日でもするすると読み進めることができます。
プロフィール
奥 真理子 1988年生まれ 神奈川県茅ヶ崎市出身
桑沢デザイン研究所で空間デザインを学ぶ。
現在は平日にディスプレイデザイン、週末(と水曜日)にCOYAMAを運営。
作れそうなものはできる限り自分で作ったり、試行錯誤することが好きなのだと最近気付き
ました。
ライター プロフィール
Ash
俳優・琵琶弾き。「ストリート・ストーリーテラー」として、街で会った人の物語を聴き、歌や文章に紡いでいくアート活動をしている。旅とおいしいお酒がインスピレーションの源。
カメラマン プロフィール
岩田耕平
25歳からの14年間で1万人を超える家族をフォトスタジオで撮影。15店舗のフォトスタジオで撮影トレーナーを務め、個人ではカメラマンとして人と人をつなぐ撮影を展開。