この街大スキ武蔵小杉

コスギーズ

武蔵小杉で活躍する人を紹介します!

2024.02.20

おつけもの慶 代表 渥美和幸さん

コスギーズ!とは…

利便性や新しさだけでなく、豊かな自然、古きよき文化・街並みもある武蔵小杉は「変わりゆく楽しさと、変わらない温かさ」が共存する素晴らしい街です。そんな武蔵小杉の街の魅力をお届けするべく、この企画では街づくりに携わり、活躍している人をご紹介していきます!

 

おつけもの慶 代表 渥美和幸さん

 

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「『いいな』と思う人たちと一緒に、これからも美味しいキムチを作り続けたい」

 

「あごが落ちるほど旨いキムチ」というキャッチフレーズ通り、一度食べたらやみつきになる味と、インパクトのあるキービジュアルで、名実ともに川崎市のNo.1キムチ店に成長した「おつけもの慶」。

 

その人気の秘密は、厳選された食材や、こだわり抜いた製法だけでなく、周りの人たちを楽しく巻き込んでいく渥美和幸社長にあるようで…。

 

「おつけもの慶」が現在に至るまでの軌跡から、「かわさきSDGs大賞」に輝いたサステナブルな取り組み、川崎という街への想いまで、渥美社長にじっくりお話をうかがいました。

 

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――まずは「おつけもの慶」の成り立ちから教えてください。

 

父親が始めた青果店に21歳で就職したあと、焼肉屋さんや、キムチ屋さん、給食センターなどから食材の注文を受けて配達をする“BtoB”の仕事をしていました。川崎コリアンタウン(セメント通り/川崎区浜町)の店舗とのやりとりが多かったのですが、その時に焼肉屋さんがどんどん減っていくのを目の当たりにしたんです。僕は生まれも育ちも川崎区で、キムチが当たり前のように食卓に並ぶ家庭で育ったので、商売のことを抜きにしても、川崎の文化が薄れていく寂しさを感じたんですよね。

 

そんな時に、取引先の焼肉屋さんで料理長を務めていた城野勝さんがお店を辞めたと聞き、「キムチを一緒に作りませんか?」と声を掛けました。それが「おつけもの慶」の始まりで、今から20年前になります。

 

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二人三脚でお店をスタートし、苦しい時を一緒に乗り越えてきた故・城野勝料理長。

 

――オープン当初からお店は順調だったのでしょうか?

 

最初の3年は全然売れませんでした。営業時間も決めずに売れるまでお店を開けていたのですが、それでもダメでしたね。ただ、僕は城野さんが作るキムチが大好きだったし、きっかけさえあれば絶対に売れると思っていたので、どうすればたくさんの人に知ってもらえるか考えて、最初の頃はチラシのポスティング等も経験しました。

 

字が下手なりに手書きで作ったチラシを自転車のカゴいっぱいに乗せて、城野さんと一緒に夜中にポスティングしてまわって…。その時は「何でもやるしかない!」って必死でしたね。

 

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今も「できることは全てやる」の精神から、お店の二次元バーコードがプリントされたトレーナーを着用し、渥美社長自らが歩く広告塔に。

 

――味も試行錯誤したのではないでしょうか?

 

城野さんが作るキムチって、もともとは辛くてちょっと塩味が強かったので、ほかのキムチ屋さんのキムチを城野さんとふたりで研究して、日本人が好むキムチを作っていきました。

 

城野さんも職人ですから、初めのうちは味に頑固でしたよ。でも、あまりにも売れないので、そのうち「売れているものが美味しいものなんだ」っていうふうに気持ちが変わっていったみたいです。僕よりひとまわり歳が上なので色々と思うところもあったと思いますが、売れるようになってからは心を開いてくれて、お客さんとも打ち解けていきましたね。

 

――転機が訪れたのは、どのタイミングでしたか?

 

タウン情報誌の掲載が大きかったです。僕のインタビューが掲載されたすぐあと、お店がオープンする前に城野さんから「お客さんが並んでいるんだけど」っていう電話がかかってきたんですよ。それまで売れない日がずっと続いていたので、お金をかけて宣伝をしても効果ってあるのかな?って半信半疑だったのですが、すぐに反応があってビックリしました。その後、お客さんが並んでいる様子をECサイトのページに載せたところ、そっちも売れ始めて。

 

さらに加速したのは、2011年に桜本商店街で開催された「キムチグランプリ」(S級グルメ キムチグランプリ2011〜川崎にはキムチがある〜)の時でした。老舗のキムチ屋さんばかりのなか、新参者のうちがグランプリを取ったんです。イベントの様子がテレビで放送されたこともあって、その日はECサイトがパンクするぐらい注文が殺到したのを覚えていますね。

 

――今は催事なども合わせると相当な忙しさだと思いますが、それでもひとつひとつ手作りなんですよね。

 

そうなんです。作れる量が決まっているから、たくさん注文が入っても売上は変わらないんですよ(笑)。キムチって半分に切った白菜の葉の1枚1枚に塩とヤンニョムを塗り込んでいくのですが、白菜の葉って厚さが違うでしょ? 厚い葉には多めに塗り込まないと味が違ってくるから、手作業でやるしかなくて。それでうちはずっと変わらず手作業ですね。

 

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家業を継いで市場に毎日仕入れに行っていた経験から、野菜の目利きは確かな渥美さん。白菜の真ん中部分を食べさせていただいたところ、あまりの甘さに取材スタッフ一同ビックリ!

 

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塩とヤンニョムは、白菜の葉の根元まで1枚1枚丁寧に塗り込む。

 

――新商品の開発にも意欲的ですよね。見た目にもインパクトのある「壺入り“慶のひっぱり多幸キムチ”」には驚きました。

 

単価が高い(11,888円)商品なので、すごく売れるわけではないのですが、それでも年末に100個は売れたかな。白菜キムチって、どこのお店も見た目が同じじゃないですか。それをどうにかしたくて作ったのがイカ飯をイメージした人気商品「元祖!おなかいっぱいイカキムチ」。“映え”を狙ったんですよ(笑)。

 

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幸せの連鎖を願って開発した「慶のひっぱり多幸キムチ 808g」は、なんと金色の招き猫トング付き!

 

――見た目だけでなく、商品名も目を引きますね。

 

僕と同年代のおじさんたちが名前を付けるから、年配の方がクスッと笑える名前にどうしてもなっちゃうんですよね(笑)「あごが落ちるほど旨いキムチ」っていうお店のキャッチフレーズもいいでしょ?(笑) うちはバスの中で流れるアナウンス広告を利用しているから、バス通勤やバス通学の人は「あごが落ちるほど旨いキムチ」という言葉を毎日耳にするわけですよ。そうすると「あごが落ちるって何だろう?」って気になってお店に来てくれるんです。そういう意味でも、インパクトのある商品名は効果的だと思います。

 

そういった面白い商品を思い付くのは、うちの奥さんと飲んでいる時がほとんど。彼女は人との関わりが大好きな人で、催事には欠かせない“祭事隊長”なんですよ(笑)全国で催事をするようになったのも奥さんのアドバイスのおかげだし、店舗を増やすのも奥さんの後押しが大きい。中には夫婦で一緒に仕事をすることをためらう人もいますが、僕は一緒に仕事ができる人と結婚しようと思っていたから、今の状況はすごくありがたいですね。

 

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渥美社長の最大の理解者でもある朱美さんは、“祭事隊長”として各地の催事でも大活躍!

 

――二人三脚でお店を作り上げた城野さんが2022年に亡くなった時は、奥さんを始め、従業員の方々の支えが大きかったでしょうね。

 

15年以上勤めている職人・西村さん(西村克彦さん)や、土方工場長(土方彰さん)が城野さんの意思をしっかり継いでくれて助かっています。土方さんは城野さんが亡くなる直前にうちに入社したのですが、その経緯がまた面白くて。

 

彼はもともとキムチ業界の最大手に勤めていて、出会いは15年以上前だったかな。僕はその会社に白菜を納品していたんですよ。でも、取引が終わったことで土方さんと疎遠になってしまったんですね。そうこうしているうちにお店が忙しくなって、当時、オペレーションが上手くいってなかった工場をどうにかしたいと思っていた時に、何気なく奥さんと「土方さんみたいな人がうちにいるといいよね」なんて話をしたんです。そうしたら翌日、お店から「土方さんという方がお店に見えています」って連絡があって。急いでお店に行くと、土方さんがリクルート活動をしているって言うじゃないですか。もう、ビックリしました。その後、土方さんに入社してもらってからは工場も上手く回り始めたので、すごい引き寄せだったなと思います。

 

プロジェクトマネージャー(伊藤泰介さん)もそうですが、それぞれのスペシャリストが力を発揮してくれることで、このお店は成り立っているんですよね。同世代の気の合う人たちがお店のために一生懸命になってくれる、それが本当に嬉しいです。

 

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大島上町の店舗奥にあるキムチ工場で、キムチができるまでの工程を丁寧に教えてくださった土方さん。

 

価値を売ってお金を儲けるという感覚を若い人に学んでもらいたい

 

――2022年に「かわさきSDGs大賞」を受賞されたことで、「おつけもの慶」のサステナブルな取り組みにも注目が集まっていますね。

 

野菜の端材を野毛山動物園に寄付するという活動は、SDGsという言葉が世の中に浸透する10年以上前から行っていたことなので、それまでの取り組みが結果的にSDGsに繋がったという感じですね。

 

キムチって白菜の外側の固い葉っぱは使用しないんですよ。でも、野菜の生産者の方と畑で顔を合わせるうちに、こんなに心を込めて作っている野菜の葉を捨てるなんてできないと思い、端材を動物園に寄付するという取り組みを始めたんです。

 

あとは、プラスティック削減の意味で、キムチの容器にパックを使うのをやめました。バイオマス素材やリユース可能な袋にシフトしたのもSDGsに力を入れた結果というわけではなく、単純にゴミを少なくしたいという理由なんですよね。マンションに住んでいる方はまだいいのですが、戸建の方はすぐにゴミ出しができないため、匂いの強いキムチの容器がしばらく家に残ってしまう。それは自分も嫌だなと思ったので、ゴミを少なくするという意味で容器を袋に変えました。

 

最近では、お鍋を持ってお豆腐を買いに行く“昭和のお豆腐屋さん方式”をイメージしたキムチ専用容器「K-pot」の販売も好評です。お得な利用法として、「K-pot」を持参していただくと通常の商品が20%増量になるんですよ。かしこまった取り組みは続けるのが難しいし、みんなが喜んでくれて、すぐに実行できる持続可能な取り組みということで「K-pot」は好評ですね。

 

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“昭和のお豆腐屋さん方式”をヒントにした「K-pot」。密閉性に優れているため、液漏れや匂いの心配もない。

 

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食品ロスゼロを目指す冷凍シリーズ「元祖!おなかいっぱい豚キムチDON」は、5分温めるだけで出来立てが味わえる。

※こちらの商品は在庫がなくなり次第、終売となりますが、「元祖!おなかいっぱいビビンバDON」は継続で販売されます。

 

――地元との連携も積極的ですよね。昨年は高校生と一緒に商品開発もされたのだとか。

 

キムチが川崎名物だということを知らない子たちに「おつけもの慶」のキムチを知ってもらいつつ、地元にも貢献したいという思いから、川崎市立川崎高校の生徒さんと協業で新作キムチを開発しました。高校生が開発したレシピに土方工場長がアドバイスをしながらプロジェクトを進めていったのですが、僕たちからは出てこないような発想ばかりで、若い人たちのパワーってすごいなと思いましたね。

 

開発して終わりではなく、実際にお店で販売して、その収益の一部を学校に寄付しているんですよ。僕は商売人の家に生まれたので、小さい頃からお金の価値がよく分かっていたのですが、商売のことを学ぶ授業ってなかなかないじゃないですか。だったら自分が伝えようと思い、販売から寄付まで行うことにしました。

 

例えばアルバイトをするにしても、「自分の時給と同じぐらい商品を売らなくてはならない」と思いながら働くのと、何も考えずに働くのとでは全然違いますよね。高校生の皆さんに、価値を売ってお金を儲けるという感覚を、キムチを作りながら想像してもらいたいと思ったんです。要は、原価がこれくらいで、容器はこれくらい、時給はいくらっていうふうに計算しながらキムチ作りに携わって欲しかったんですよ。学生さんたちの将来を考えた時に、雇う側の立場からすると、そういった感覚を持っている人を雇いたいと思いますから。

 

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川崎市立川崎高校の生徒が開発した「万能ちょいキムチ」。ほかに「もっちーずキムチ」と「おつまみキムチ」を商品化し、店舗で実際に販売。

 

――ご自身の知識や経験を若い人たちに還元していく姿勢が、素晴らしいと思います。

 

若い人へ向けてというより、街全体への還元という気持ちが一番強いかな。お金もそうだけど、“縁”って巡るものですからね。儲かった時は少し街に還元する。そうすると何かが返ってくるんですよ。もちろん見返りを求めてはいないですよ。だけど、悪いことをすれば悪いことが自分に返ってくるように、いいことをすれば自分にもいいことが返ってくる。そういう意味でも、「いいな」と思う人と一緒に、自分が「いいな」と思うことをしていって、これからも美味しいキムチを作り続けたいと思います。

 

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プロフィール

渥美 和幸(あつみかずゆき)

有限会社グリーンフーズあつみ 代表取締役

 

川崎区出身。2003年、川崎区渡田新町にわずか1坪のキムチ専門店「おつけもの慶」をオープン。楽天ランキング1位の獲得などを機に「かながわ名産100選」や「かわさき名産品」に選ばれる。2022年には動物園への端材の寄付活動などが認められ「第1回かわさきSDGs大賞」を受賞。

武蔵小杉東急スクエアにて2月26日〜3月3日に開催の「むさしこすぎSDGsフェア」に参画。

 

ライタープロフィール

佐藤季子

ライター/エディター

 

編集プロダクション勤務を経て、フリーのライター&エディターに。音楽誌や演劇誌などエンタメ系の雑誌でライターとして活動するかたわら、地元・麻生区では「ロコっち新百合ヶ丘」の運営に携わる。

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